2019/1/17-2019/8/8
長くて濃い7ヶ月だった。
Snow Manを応援した期間は、SixTONESを応援していた時よりも短かったけど、それと変わらないくらいに濃かった。
次にこのブログを更新する時は、オタ卒する時だって決めてたのに。
準備も確実に進めていたのに。世界はすごいスピードで回ってしまった。
せっかくだし今の想いを全部吐き出してしまおうと思って、つらつら書きます。
1月。
衝撃の加入で戸惑って、泣いて、怒って、居心地が悪くなった。
たくさん誰かを傷つける言葉を投げたし、傷つけられた。
誰も悪くないのに、誰かを悪者にしてその人にこのモヤモヤを当てないと私が苦しかった。
私よりも本人たちの方がたくさん傷つけられたと思う。正解が見えないなかでの決断で、きっとこの道が正しかったと思えるように未来に走り出した9人なのに。
ファンの言葉で傷ついたと思う。今でもそれは続いてると思うけど。
2月。
本当は6人で主演だったはずの滝沢歌舞伎ZEROが南座で開幕。
加入した康二もめめも6人と変わらず前に立っていて、堂々としていた。
幕が上がって康二を見た瞬間に、苦しかった。じわじわと涙が込み上げてきた。
大きな決断をした彼が、胸を張って舞台に立っている。
これまでとは違う環境の中で必死に食らいついている康二は輝いていた。
Snow Man向井康二をもっともっと見たいって思える舞台だった。
でもそれと同時に怖かった。これから先彼は舞台に立っていても何か言われてしまうんじゃないか。その場にいるファン全員が彼を受け入れているわけではないのは十分わかってたから。
康二の話をするのが怖かった。
3月。
9人での横アリ単独。
滝沢歌舞伎以上に不安だった。隣前後にいるファンは受け入れているのかそうじゃないのか。康二のうちわを出しても大丈夫なのか。オレンジのペンライトを光らせてもいいのか。
アクロバットが少なくなって6人のファンは悔しかったと思う。
今までのSnow Manの魅力はアクロバットだったのは知ってる。
でも私はこのタイミングでもう全員がアクロバットしてなくてよかったかな、と思う。
どうやって自分たちを魅せていくのか、試行錯誤をしながらステージを創り上げていくっていう道のりが私は好きだから。でもいつかは9人全員のアクロバットが見たい。
ステージに立つ本人たちも不安だったかもしれない。そんなこと感じさせないくらいに楽しい公演だった。
そして、康二を担当として名乗るのを辞めた。
これから先ずっと何か言われ続けるのは怖かったし楽しくないのは嫌だと思った。
そんなの気にする必要なんて何もないってわかってたけど、それでもやっぱりSnow Manのファンの友達を作ろうと思うと、受け入れてくれている人たちを見つけるのが難しかった。
でも、もう関西にも興味はないし関東でも他を探す気にならなかった。
だから、6人の誰かのファンになって9人も受け入れているという体制をとることにした。
康二を嫌いになったわけではないし、Snow Manの応援は楽しいから私的にはこれでよかったんだと思っている。
4月。
ラウールがどう入ってくるのか楽しみだったから、観に行くのにわくわくしていた。
9人ってやっぱり多いなあ、と思いながらも迫力があってすごかった。
南座よりも新橋の方が個人的には好きだなあと思った。8人がパワーアップしてたからこそそう思ったのかもしれない。
5月。
二度目の新橋演舞場。
やっぱりひらりと桜が大好きだと思った。
これからも応援したい、見ていたい。就職関東にしたい、って思えるくらいに私の中で9人の存在が大きくなっていた。
6月。
康二の三婆を観に行った。
Snow Man向井康二として松竹座に立つ姿は何だか不思議だった。
普段の現場とは違って年齢層も違うし、康二のことを知らない人がたくさんいる中で褒められたりしている言葉を聞くと嬉しかった。
こうやって彼は入り口の役目を果たしていくんだろうな、と思うと誇らしかった。
7月。
疲れ始めた。
現場がないからとかじゃなくて、私が彼らに追いつくことができなくった。
どんどん仕事が決まりすぎてもはや情報を得ることすら面倒になった。
私は過去に縋りつく人間なので、少し前みたいに急に来る大きな仕事に喜びたいし、突然のバックにえっ!まじか!ってなりたいタイプだったから、事前にあれもこれもって言われると、なんだか疲れた。
何より、東京に行くのに疲れた。彼らは頑張っているのにそのうちの誰かを否定したり叩いたりする人たちと同じ空間にいたくなかった。
受け入れるかどうかは本人次第なのは十分に理解しているし、私も最初は受け入れられない方だった。でも言ってしまえばこっちは加入側だったから、彼を受け入れてくれるグループだから応援したい、って思えるようになったし、見れば見るほどSnow Manが好きになったからきっと6人から応援している人も変わってくれるかもしれないって思ってた。
でもそれは簡単なことじゃなくて、いつになっても無理な人は無理なんだって理解した。だからこそ苦しかったし辛かった。
9人で前向いて猛スピードで走っている彼らにもついていけないし、周りの温度差にもついていけなかった。
あ、もう無理だな、やめよう。そう思って、グッズを売り飛ばし始めた。
雑誌も買わなくなった。YouTubeも飛ばし飛ばしでかろうじて見るくらいになった。
ブログ更新も番組出演も何もかもしばらくたってから気づくようになった。
こうやって自分の生活から彼らが消えていくのか、って実感した。
周りの友達との熱量の違いに少し寂しくなりながらも、でも無理して続ける意味はないな、と思った。
8月。
夏が来た。何を歌うのかもいまいち覚えてないし、グッズもギリギリまで悩んで買ったくらいに熱が冷めてしまっていた。
入ったら入ったで楽しかった。あぁ、久しぶりのコンサートだって思いながら一生懸命好きな人たちを目で追いかける時間は懐かしかった。
でももう終わっちゃうな~って思ったし、周りの人にも関西来るときは連絡してねって言ってたのに。
8月8日。
結局配信に課金しなかったし、どうせ何かあるとしても私の応援してるところじゃないって正直思ってた。
そしたら世界がめちゃくちゃすごいスピードで回ってて。涙が止まらなかった。
私がずっと経験したかった、Jr担からデビュー組に、っていう流れが約束された。
ただ素直に私は嬉しかった。
ずっとずっと夢見てたデビューが彼らにもきて、ジャニーさんはもう見れないけど決定に関わってくれていた。それが嬉しかった。
車を運転してる時にCDをかけれる嬉しさ。誰かにCDを貸せる嬉しさ。
色んな声があるのはもうわかりきってるしこれから先もきっと順風満帆な道のりではないけど、まずはおめでとうって言いたい。
ほんとに短い期間しか彼らを知らないし、過去を振り返ってもその時のことは分かった振りしかできないけど。
周りがデビューしていったり、それぞれの道に進んでいって。
関西のグループにも入れなくて、東京に向かうことになって。もがいて苦しんで。
SnowManになって7ヶ月でデビューが決まって。色んな言葉が彼をまた襲うかもしれないけど、でも、まずはおめでとうだよ。
何度も辞めようと思ったけど、5人の仲間がいたから辞めなかった深澤くん。
本心か嘘かわからなくて、深読みして信じられなくて、それが彼にとっては苦しくて。
だけど前向いて進んで。
ブログで何度も自分の想いを言葉にしてくれて。それが夢の実現に繋がって。
ありがとう。おめでとう。
2020年からほんとに始まるね。ここからまた走り出すんだね。すごいね。
私は働き出してきっとまた「ああ、すごいな」って遠目で見ることが多くなってくんだろうけど、それでもいろんなところで彼らを見れる生活に慣れていくんだろうな。
関西に来ることが増えるんだろうなって期待させてください!(笑)
自分がアジアに飛び出せなくても、これからもっと活躍していく彼らの未来は明るいはず。
濃くて長かった。
目まぐるしく進んでいく彼らを「すごいね」としか言えないくらいに自分が追いつけなくなった。
追いつく気持ちがもう私には残っていなかった。
周りのファンは傷つけあってるし、優しい人もいたけど、でも私は何度も傷つけられたし傷つけた。
何回もじゃあ彼を関西に戻してくれよ、って思ったし、なんでこうなったんだろうって考えた。
康二は9人でいることが楽しいって新しいことにわくわくしているのに、私はずっと過去に囚われてめそめそして。何度も色んな方面を恨んだし憎んだし傷つけた。
でもそれは意味のないことだし、私一人がどうしようと彼らも周りのファンも進んでいく。
じゃあその輪にいる必要がないな、もうさよならだな。
そう思って、自分の中から彼らを取り除くことにした。
なのに、デビューが決まっちゃって。アジアツアーまで決まって。
彼らのCDを手にして、ツアーのどこかに参加する夢ができてしまって。
また彼らと夢を叶えたい。叶えさせてほしい。
ジャニーズと一緒だった大学生活、とっても楽しかった。
色んなところに行ったし色んな人に出会えた。人生楽しいと思えた。
何もかも応援している人たちに会うため、と言い聞かせて頑張れた。
自分の生活は彼ら中心に回っていた。
それが自分の大学生活だったし、宝物だった。
ありがとう。
何回伝えても伝えきれないくらい感謝しています。
これからも彼らが笑って過ごせますように。
最後に私の好きな歌詞を置いておきます。
逆風にさらされながら咲く花は
どの花よりも強くて美しいから
デビューおめでとう。2020年からまたさらに輝けますように。